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小説・散 華
    〃     参 61~66


散 華  1.夢の通い路 64

2011.08.25  *Edit 

「若っ、大丈夫?」
 しゃがみ込み、樹の肩に手をやると、紫色の唇を震わせていた。
意識はあるようだ。ここで気絶でもされていたら適わない。
幸也はほっとした。
 二人の様子に気付いた佳香が傍にやってきた。
「あなた達は、そこで待機してなさい。中は覗かない事」
「一体、お母さんはどうなってるの?大丈夫なんですか?」
「出産後の出血の量が普通よりも多いの。でも、本人の意識は
しっかりしてるし、今、お産婆さんが対処してくれてるから。
落ち着くまで待ちなさい」
 佳香の顔はまるで能面のようだった。何の感情も推し量れない。
この人は、自分の血のつながった肉親のこの事態に何も感じて
いないのか。それとも、感じる事を止めてしまっているのか。
「お医者さんは?僕、呼んで来ます」
 幸也が立ち上がると、佳香は「いけません!」と止めた。
その声がいつになく激しい。華族のおひい様らしく、声を荒げた
事など一度も無いだけに、幸也はその激しさに驚いた。
「もう、他の者に呼びに行かせています。それに……貴方が
行ったら、間にあわないかもしれない……」
「間にあわないって?どういう事です?」
 幸也の問いに、佳香は初めて表情を崩した。キッと一瞬
厳しい顔をした後、瞳が僅かに翳った。そして、何も言わずに
部屋へ入ると襖の戸を閉めたのだった。
「幸也……」
 低い声が自分を呼んだ。この声は祖父だ。
 政也は樹の傍に座っていた。いつの間に来たのだろう。
「幸也……。儂らには、何もできん。ここで待つしかないんだ」
「おじいさま……」
「出産は……命懸けじゃ。昔からお産で命を落とす者は数知れない。
お前を産んだ時は、軽かった。文緒も若くて元気だったしな。
だが今は、三十路を過ぎ、初産から十年以上も経っている。
おまけに戦争で心身ともに元気とは言い難い……」
 幸也は祖父が何を言っているのか分からなかった。
いや、分かりたく無かった。
「じじ様……」
 ジッとしていた樹がいきなり声を発した。
だが、その声は弱々しかった。
「ふぅは……、死なないよ。絶対に……」
「若君……」
「ふぅは死なない。僕を置いて逝くわけがないんだ」
「そうだよ。お母さんは死なない。こんな事で死ぬわけがないんだ」
 あの母が、自分たちを置いて逝くわけがない。強い人だ。
絶対に持ちこたえてくれる。幸也はそう信じた。そう信じ
なければ死神に連れて行かれてしまいそうに思えてならない。
死神は、生きる力の強い者へは近寄らない筈だ。逝かせてなるものか。

 どのくらいの時間が経っただろう。
 中が静かになってきた。
 襖がスーッと開き、山姥(やまんば)のような産婆が姿を現した。
「奥様が呼んどる。お入りなされ」
 三人は同時に顔を上げ、同時に立ちあがった。だが最初に
足を踏み入れたのは樹だった。こんな時、足の悪さなど微塵も
感じさせないほど、その動作は素早い。
 部屋の中は最初に見た時とは打って変わって綺麗になっていた。
まるで何事もなかったかのようだ。だが、血の臭いが僅かに
残っている。向かって右側に、佳香と女中のミネが座っていた。
三人の姿を見て、僅かに足許の方へと移動した。
 樹はすたすたと近寄ると、反対側の左側の枕元に坐した。
幸也はその隣に座り、政也は右側の枕元へ座った。
 文緒は目をつむっていた。顔色は悪く、眼の下には疲労の色が
濃く映し出され、面やつれしている。こんな母を見るのは
初めてだった。不吉な予感が胸を過り痛くなってくる。
「ふぅ……」
 樹が小さい声で呼ぶと、重たそうな瞼がそっと開いた。
「わか……ぎみ……」
 輝きを失わない黒曜石のような瞳に輝きが見られないのを見て、
幸也は胸が締め付けられた。
 文緒は僅かの間、樹と視線を交わした後、眼だけを周囲に
動かして、幸也と政也の存在を認めた。
「お母さん!」
「文緒!」
 二人の叫ぶような呼びかけに、文緒の顔に微かな笑みが浮かんだ。
「こんな事に……なって……しまって……、ごめんな……さい」
 苦しげに顔を歪めながら、とぎれとぎれに言葉を紡ぐ。
「何を言ってるんだ。しっかりするんだ。折角子供が生まれたと
言うのに、頑張らなくてどうする」
「……わたくしは……、もう、……だめです」
 幸也の胸は凍りついた。いつだって、どんな時だって弱音を
吐いた事の無い母が、自らもう駄目だと言っている。
信じられない思いだ。病は前向きな人間をも後ろ向きにさせて
しまうものなのだろうか。だが、この母がそうまで言うのである。
本当に、もう駄目なのかもしれない。
「駄目だ、ふぅ!諦めちゃ駄目だ!」
 樹が怒鳴った。
「わかぎみ……」
「諦めたら、そこで終わりだよ。僕達はいつだって、諦めないで
来たじゃないか。僕達の旅は、まだ終わってないんだよ。
ふぅがいたから、ここまで歩んで来れたのに、それなのに……、
逝くな!逝かないで!僕を置いて逝っちゃ嫌だ!」
 透明度の高い宝石のような瞳から涙が溢れ出ていた。
「そうだよ、お母さん!逝っちゃ駄目だ!お母さんが
いなくなったら、僕達はどうしたらいいんだよ。
赤ちゃんだって、いるのに……」
 幸也の瞳からも、止めどなく涙が溢れて来る。こんな事は
許せない。この世からこの人がいなくなるなんて信じられないし
信じたくない。
「ゆき……なり……、あの子をお願い、ね……。澪を……」
「みお?」
「……あの子の、名前よ。……あの子はきっと、みんなの、
澪標(みおつくし)だと、思うの……。わたくしの……
代わりに……、きっとみんなを……幸せへと……導いてくれる、
はず……」
「お母さん!あの子はお母さんがいなかったら、育たないよ。
だから、駄目だよ」
 幸也の言葉に、文緒は悲しげな笑みを浮かべた。
「ごめんな、さいね……。澪を、……わかぎみと二人で……
お願い。……お父さんは、まだ、多分、戻っては……来れない。
だから、……あなたが……澪と家を、守るのよ」
「嫌だ、嫌だ、嫌だ!ぼ、僕は、嫌だ!お母さん、
お願いだから、逝かないで」
 幸也は母の布団の上に突っ伏した。
「お舅さん……」
「文緒っ、頑張るんだ。儂は……、裕也に、あいつに顔向けできん」
「お舅さん……、裕也さんに……、ごめんなさいと、
言っていたと、伝えて……。わたくしの、不実を……お許し、
くださいと……」
「文緒……」
 政也は肩を落とした。もう本当に駄目なのだ。だから文緒は
最後の力を振り絞って皆に別れを告げている。政也は満足な
物も食べさせてやれず、しっかりした医療も受けさせられずに
嫁を先立たせてしまう自分の不甲斐なさに腹が立った。
この家で必要なのは老いさらばえた自分ではなく文緒だ。
息子に申し訳ないとただひたすらに思うのだった。



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