ChaoS

スポンサー広告


スポンサーサイト

--.--.--  *Edit 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。



*Edit TB(-) | CO(-) 

小説・散 華
    〃     弐 31~60


散 華  1.夢の通い路 58

2011.08.10  *Edit 

 裕也は三日の滞在の後、帰隊して行った。その間に多くの
仕事をこなし、幸也も伝授された事を必死に覚えた。裕也が
帰隊した後も、祖父・政也の許へ通い何度も復習を重ねた。
 東京は裕也が言った通り、その後も空襲が続いた。
四月に入ってから、城北地域と京浜地域が爆撃を受けている。
三月十日の城東地区程ではないが、多くの家が焼け、
多くの人が死んだ。
 他の主要都市でも毎日のように爆撃されていると、
人伝に聞こえてくる。空襲で焼け出され、逃げた先で再び
空襲に遭うと言う不運な人もいるらしい。それでも生き残れた
事こそ幸運と言えるのかもしれない。
 この、東京の大空襲の後、決戦教育措置要綱に基づいて、
中学生以上の学生は一年の授業停止による勤労総動員の体制が
とられることになった。樹も幸也も、地元の軍需工場の所属となり、
横浜の中学へは通わない事になったのだった。
 事態がここまで逼迫してくると、さすがに樹も幸也も
家族の近くで勤労できる方がマシだと思うようになった。
主要都市部は軒並み空襲に遭っている。横浜がいつまでも
無事であろう筈も無い。
 遠くへ通学しない分、朝も夕も時間に若干の余裕が生まれ、
二人は畑を耕し、海で海藻や貝などを収穫してきたりした。
とは言っても、畑も海も収穫量はたかが知れている。朝夕の
僅かな時間しか手を掛けられない為、虫や病気にやられ、
育ちが悪い。
 そんな中、文緒が体調不良になった。裕也が無事に
一時帰宅してから、伏せっていた床は上げられて、元気を
取り戻して安心していたのに、近頃、頻繁に貧血を起こし、
気分が悪くなって工場を早退して来る事が多くなった。
「お医者様をお呼びした方が良いのでは……」
 十年程前から奉公に上がっている女中のミネが、樹と幸也に
言ってきた。ミネは一族の遠縁に連なる娘で、十六の時から
ここにいる。親を亡くして途方に暮れていたところ、
親戚の計らいで文緒の許に仕える事になったのだった。
 文緒と共に同じ工場に勤労に出ていて、昼間の文緒の様子を
見るにつけ不安が増すのだと訴えた。文緒は工場を
早退する程の体調不良でありながら、子供らには心配を
かけまいと、夕方までは床で休んでいるものの、
その後は起きて、いつもと変わらぬ様子で子供達を出迎えていた。
「ずっと、微熱も続いているようなのです……」
 文緒の体調の事を、子供達には言わないようにと口止め
されてきたらしい。だが、一向に回復しそうにない様子に
黙ってはいられなくなった。
 ミネの話しを聞いて、二人は驚いた。医者と言っても、
主治医は既にいない。徴兵されたのだ。どこの地域も
医者不足に陥っている。残っているのは既に引退している
年配の医者くらいだった。
「医者と言っても、この辺にいるのかな。ユキは知ってるかい?」
 樹の言葉に幸也は首を振った。
「知らないけど……、でも探してくるよ。何としても見つけて来る」
 幸也はそう言って山を降り、あちこちを聞き回って逗子の
近くに年配の医者がいる事を知り、急いで走ったのだった。
やっと見つけた医者は七十を超えていると思われる白髪の老人で、
とても医者には見えなかった。
 医者は話しを聞いて往診を断って来た。高齢の為、山の上まで
行けない事と、自分がここを離れたら急診に来た者が困る事を
理由に挙げた。
「患者をここまで連れて来なさい。それなら診て差し上げよう」
 幸也は迷った。医者の言う事も尤もだと思ったからだ。
けれども、具合の悪い母に気付かずにいた自分を情けなく思い、
また、無理を続けて来た母の体の事を考えると、どうしても
このまま医者を連れて行きたい思いにかられた。それに、
母の事だ。具合が悪い事を否定し、診療所へ行く事を
拒否するかもしれない。
「屋敷まで、僕が先生をおぶって行きますから、道中の
心配はなさらなくても大丈夫です。急診の方は……、
もしあったら華陽院まで連れてくるか知らせてくるように
書置きをしていけばいいじゃないですか」
 幸也はそう言うと、医者の返事も待たずに傍にあった紙に
『現在、華陽院家で診察中。急診の者は華陽院まで』と書いて
受付の前に貼り、「おい、おい……」と慌てる医者をさっさと
おぶって、近くにある診察鞄を手にして病院を後にした。
「き、き、君は……、随分とせっかちだね……。そんなに
患者は重傷なのかね?」
「わかりません」
 医者の問いに、幸也は憮然と答えた。実際のところ、本当に
分からないからだ。そして、息子でありながら母の容体が
分からないと言う事が腹立たしくもあった。
「わからないって……、それなのに、儂を連れ出してるのか」
 呆れたような声が耳元に聞こえた。
 医者は小柄で痩せている割に重かった。柔軟性の無い硬い体は、
まるで樫の木でできた木偶人形を連想させた。その木偶人形が、
しきりに幸也の耳元で捲し立てるように現状を愚痴っていた。
要は、現役の医者が皆徴兵されて、自分のような老いぼれが
復帰するしかない事への不満と怒りである。
 幸也はそんな無益な愚痴など殆ど聞いてはおらず、
ここ最近の母の様子に思いを馳せた。ミネが言うまでもなく、
顔色が悪い事には気付いていた。だが、食糧難の中での勤労奉仕で、
顔色の良い者など誰もいない。それでも、何かと気に病む事が
多いだろうと、幸也は家にいる時にはなるべく母を気遣って
きたつもりだった。
 工場を何度も早退する程、疲弊していたのか。
 否、疲弊ならまだ良い。休養を取れば済む事だ。だが、
何かの病気だとしたら……。労咳にでもなっていたら、
致命的だ。たび重なる疲労と栄養不足は労咳になる確率を
高める。このご時世だ。十分な治療と療養は難しい。
 幸也は不吉な予想で頭の中を占領されないように、
歩調を速めて華陽院家への山道を登り始めた。


スポンサーサイト



*Edit TB(0) | CO(0)

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。
 ◆Home  ◆Novel List  ◆All  ◆通常ブログ画面  ▲PageTop 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。