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小説・散 華
    〃     弐 31~60


散 華  1.夢の通い路 44

2011.06.29  *Edit 

 樹は文緒の心配を余所に、毎日休む事なく学校へ通った。
謙虚な姿勢に誰もが親切で、楽しそうに学校では過ごしていると
幸也は言うが、床へ就いた時の寝顔を見ると、疲労の色が窺われた。
 かなり気を張っているのだろう。樹は周囲の空気に敏感だが、
幸也は鈍感な所がある。樹の傍にいて、大人たちの陰険な姿を
目にしてきていながらも、どこかで人の善意を素直に信じている
部分があった。
 どんな人間も様々な正負の感情を持ち合わせている事は
分かっているようだが、例えば儒教で説かれている「性善説」を
そのまま鵜呑みにしているような、人の好さがあった。
要は単純なのだった。
 だから、表面的な部分のみで判断しやすい傾向にある。
樹の傍にあって、文緒の次に樹の良き理解者ではあるが、
樹の内面の複雑さまでは理解できないだろう。
 ただ、この鈍感な所が、樹の気持ちをほっとさせる部分でもある。
唯一、気を使わなくても良い存在と言えた。
 まるで、一緒にいる事が当たり前のようだが、将来二人が
別々の道を歩む時が来るのだろうか?華陽院と藤村の家の
関係から慮れば、順当に行けば共に手を携えて生きていく事に
なるだろうが、時代は変化している。先の事は誰にも分からない。
 だが、少なくとも暫くは、二人は共に同じ道を進むようだ。
 樹も幸也も、一中への受験の志は高く、帰宅すると二人して
猛勉強をしている。世の中が軍事色一色の中、軍人の道を
選択しない若者に対する世間の風は冷たい。
 不安定な世情であるが、文緒は学問は必要だと思っている。
どんな世の中になろうとも、学問さえ身につけておけばいずれは
自身の助けとなるだろう。だから進学する事は当然と思いながらも、
不安は拭えない。
 大事な二人の後継ぎに万一の事があってはと、思わずにはいられない。
 食料も配給制になっていて乏しく、文緒は使用人たちと共に、
屋敷の庭の一部を耕し、野菜を育てていた。働き盛りの男達は
全て赤紙により徴兵され、残っているのは年よりと女達だけだ。
 華陽院の大殿は手伝わない。佳香も然り。だが、藤村の舅は
悪い足を引きずって、華陽院の屋敷へやってきては文緒の
手伝いをしてくれた。当主である寛と妻子達は東京にいるので、
今では文緒が華陽院の家を仕切っていた。
 自分達の口を拭うだけでなく、育ち盛りの子供達にひもじい
思いをさせたくない。だから、形振りなど構っていられないのだった。
幸い、葉山は気候が良く、自分の家の者達が食べる分くらいの
栽培はできた。たんぱく質の摂取は、海まで行って魚を釣ったり、
貝を採ったりした。そうやって、頼る術が無くて残った
女中たちと共に、文緒は頑張った。
 そして、釣り糸を垂れ、海を見ながら、この戦争は
いつ終わるのだろうと思わずにはいられない。中国との戦争が
始まってから既に十年以上が経過している。そこへ持って来ての、
米国との戦争だ。勝てる訳が無い。長引けば長引く程、
不利になるのは自明の理だった。既に燃料は枯渇に近い。
 ガソリンの配給はとっくになくなり、バスや車は薪や
木炭を利用している。その配送に、横須賀では国民学校の
生徒が駆りだされていると言う。言論統制も厳しい。全国的に
各地域に防諜組織が作られて、不審な言動をとったものなら
スパイとして摘発される。
 こんな世の中で、まともな学問を身につけようと思っても
難しいものがある。一中に合格しても、果たしてまともな
勉強ができるのか。
 そんな心配をしながらも、取り敢えず日々は平穏に過ぎ、
二人は一中へ合格し、昭和十九年春から、横浜の学校へと
通学を始めたのだった。二人は一年のうちで大分身長が伸び、
五尺五寸(約166センチ)近かった。
 幸也は日焼けした顔が如何にも健康そうで、明るく人懐こそうな
親しみやすい雰囲気を持っていて、キリリとした眉は利発そうだ。
父親の裕也によく似て来て、文緒はふとした瞬間にその面差に
夫を重ねては寂しく思うのだった。
 夫は筆まめなので、頻繁に手紙を寄越して来るが、
ここ最近は減ってきている。検閲が厳しくなってきているので、
場合によっては差し止められている事も考えられる。
そうだとしたら、心配である。
 一方樹は、一年前はまだ幼い印象だったが、一年間、
山下にある学校へ通ったせいか、随分逞しくなった。
色は相変わらず抜けるように白いが、精悍な顔つきになってきた。
 少女のように繊細で儚げな面差の中に男っぽさが顔を出し、
思慮深い精神が複雑な翳を落として、誇り高く優雅な様は
一見すると、取っつきにくい印象を与えるが、その笑顔は
天使のように美しく、見る者を魅了するのだった。
 文緒は二人の制服姿に惚れ惚れとした。
 よく、ここまで育ってくれた。そう思うばかりだ。特に樹には
感服する。滑舌の悪さの為に喋り方はややゆっくりで、
おっとりしている。そして、体のバランスが悪い為に、
その動きも緩慢だ。けっして、てきぱきと動いたり喋ったりは
しない。だが、その様が逆に、優雅さを湛えて樹の魅力を
引き立てていた。
 中学へ通いだしてすぐに、そんな樹に多くの生徒が魅了され、
虜になった。華族の子息でありながら、学習院へは通わずに
一中へやってきた秀才。気高く美しく、そしてネコ科の
猛獣のような鋭い目つきを時々見せる華陽院樹は、
男ばかりの中学の華となったのだった。


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