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小説・散 華
    〃     弐 31~60


散 華  1.夢の通い路 40

2011.06.19  *Edit 

 樹は香山教諭の後について教室へ入ってきた。
 まるで転校生扱いだ。だがそれも仕方あるまい。いきなり
教室へ登場しても、皆が驚き戸惑うだけだろう。ひと目を
引く容貌だから、当人を目の前にすれば、入学式後に来なく
なった華陽院家の男子だとすぐに思い出すに違いない。
授業が始まる前にひと騒動起こらないとは限らない。
 樹の足の事を考えて、二人は早めに家を出た。下り坂の方が
バランスを取りにくい中、思いのほか早く到着し、樹は
職員室へ赴き、幸也は一人教室へと向かった。
 暫くしてやって来た級友達に、「早いじゃんか」と言われたが、
幸也はただ黙って笑っただけだった。どうにも自分が緊張してくる。
机と椅子がひと組多い事に誰かが驚きの声をあげた。ビクリとする。
 だが、その話題が大きくなるかと思いきや、子供らの話題は
解散させられた東京六大学野球の話へと移って行った。
子供ら、特に男子はみんな野球が好きだった。プロ野球は勿論、
大学野球も憧れの対象だった。それが解散させられたのである。
 隣組もすっかり戦時体制に入っている。自分達の知らない、
遠くで行っている筈の戦争が、すぐそこで影を潜ませて爪を
研ぎながら自分達を狙っているのではないか、そんな恐怖が
ひしひしと感じられてくる。
 それでも、すぐそばに横須賀海軍がいる。絶対に守って
くれる筈だ。みんな、そう信じていた。いや、信じようと
していた。
 ただこうやって、また一つ、皆の楽しみが減った事に
漠然とながら、戦況が思わしくないのではないかと
感じずにはいられないのだった。
 始業時間になり、香山教諭と共にやってきた樹の姿に、
一同は驚愕の目を向けた。誰も声をたてない。
 すらっとした体型に柔らかそうな物腰。窓から差し込む
朝陽が栗色の髪をきらきらと輝かせ、白い顔を眩しく
照らしていた。黒々と日焼けしている国民学校の子供達と
同じ人間とは思えない程、気品に満ち、神々しく輝いて
いるようなその様に、誰もが見惚れていたのだった。
 香山教諭が「華陽院樹君だ。健康上の理由でずっと
自宅学習だったが、みんなと机を並べられる程に回復したので、
今年度から通学する事になった。入学式には出席していたから、
覚えている者もいるだろう。仲良くするようにな」と言うと、
一斉に教室内が騒然とした。
 言われて初めて思い出した。そんな感じだ。
「静かにっ」
 香山教諭の怒鳴り声で騒がしさは納まったが、ひそひそとした
話し声がそこかしこから聞こえる。
 樹はと言うと、澄ました顔をしていた。その瞳は薄い赤み
がかった色をしていた。愉快な時、そして嘲笑する時に
現れる色だ。それを見て、幸也は訝しんだ。
 席は幸也の隣だった。学校側の配慮だろう。香山教諭は
樹に一言挨拶するように言った。当然と言えば当然かも
しれないが、滑舌の悪い樹にみんなの前で挨拶をさせる事に、
幸也は香山の心根を疑ったのだった。
「華陽院です。よろしく」
 樹はそれだけ言うと、頭を下げた。幸也はそれにホッとした。
「た」行が苦手な樹だが、その名前はまさに「た」行が二つ続く、
本人にとってはとても言い難い単語だった。本人が一番よく
承知している。だからわざと避けたのだろう。
 物足りないような顔をしている香山教諭を尻目に、
樹はそのまま歩き出し、幸也の隣に着席した。上品な笑みを湛え、
毅然として、尚且つ優雅な足取りに幸也も舌を巻く。
 教壇からの距離はほんの三メートルほどだ。たったそれだけの
距離だが、樹は全く体の中心をぶらす事なく、真っすぐ
綺麗に歩いた。足の悪さを微塵も感じさせない。
 樹の意地とプライドの成せる技に違いないと幸也は思った。
 授業中、皆はチラチラと樹に視線をやる。余程気になるらしい。
そして香山教諭は、何度か樹を指名した。
下半身のバランスを取るのが大変な為、立ったり座ったりが
一番厳しい。それを知っているのか知らないのか、何度も指名する。
登校初日から登校拒否になり、五年間も欠席して今頃やってきた
子供に対する何か深い思いでもあるのだろうか。幸也にとっても、
元々あまり好かない教師だった。
 基本、大人しい性格だが、妙に神経質でネチネチした所がある。
そして、何をしでかしたのかは知らないが、校長や教頭などに
叱られたりすると、生徒にあたってその鬱憤を晴らす事が多い。
 そんな男だ。これはもしかしたら、一種の意趣返しかもしれない。
そんな風に幸也は思った。
 だが、そんな事はまるで意に介さないように、樹は堂々と
返答する。きっと香山教諭は自宅学習を侮っているに違いない。
普段、学校で子供達に教えてはいない事を樹にぶつけてくる。
わざと難しい質問をして、答えられずにオロオロするのを
見て楽しもうと言う魂胆なのかもしれない。だから、
樹が考えるまでもなく即答すると、驚いた後に悔しそうな
表情を浮かべるのだった。
休み時間、周囲に何人かの男子が集まって来た。その中には、
登校初日に幸也をからかった連中も混じっていた。
「おい」
 どこか意地の悪い笑みを浮かべている。幸也は警戒したが、
樹はまるで警戒心の無い無邪気な笑顔を向けたのだった。
相手はそれを見て怯んだ。
「か、華陽院」
 どもりながら呼びつける。
「たてる、でいいよ」
 樹は少したどたどしい滑舌でそう言った。
「い、いいのかよ。お前、華族のお坊ちゃんなんだろ?」
 居丈高だった様子が、何故か相手を窺うような顔つきに
変わっていた。
「華族なんて関係ないよ。僕、足が悪くて学校へ通うのが
大変だったから、ずっと休んでたんだけど、もう大分いいから
来たんだ。でも……、迷惑かけちゃうかもしれないから、
先に謝っとくね。ごめんなさい」
 シュンとした様子に、情がほだされたのか、樹の肩に手を乗せて、
「た、樹……、そんなの、気にすんな。お前の足の事なんか、
誰も何とも思っちゃいないし、悪いんだから仕方ないだろう?
なぁ?みんな」
 と、周囲に同意を求めた。その様子に、周囲も戸惑いながら、
「おう、そうだ、そうだ」と同意した。
 樹は顔を上げて、安心したように「良かった」と言って笑った後、
「ユキから、学校の友達はいい人ばかりだって聞いてたんだ。
だから、みんな、そう言ってくれるんじゃないかって、
ちょっと思ってた」
 と、はにかむような笑顔を見せた。白い頬が少しだけ紅を差し、
抱きしめたくなるほど、愛苦しい。舌足らずな印象を
与える滑舌が、その魅力に拍車をかけていた。
周囲の誰もが魅了された。
 こうして、幸也の心配も杞憂に終わり、樹はすっかり
学級の人気者になったのだった。


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