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小説・散 華
    〃     弐 31~60


散 華  1.夢の通い路 38

2011.06.14  *Edit 

 神奈川県の一中は横浜にある。神奈川県立横浜第一中学校が
正式名称で、現在の県立希望ヶ丘高等学校である。現在も県下で
トップクラスの進学校だ。当時は横浜市西区の藤棚町に校舎があり、
葉山から通うとなると、横浜駅へ出て、そこから横浜市電に乗り替える。
 二人は多いに成長した。特に樹の進歩には目を見張る程だ。
通常に追いついてから僅か二年年少々で、多くの学問を習得した。
十歳までの成長は遅かったものの、その後は砂に水が沁み込むが如く、
次々と吸収していった。
滑舌にはまだ若干の問題があり、「た」行の発音が不味いせいで
舌足らずな印象を受ける。濁音に関しても、言い回しによっては
不明瞭だったりする。
 それでも、そんな口から語られる言葉は、大人顔負けである。
とても知的に遅れがあったとは思えない程の、聡明さだ。
 そして幸也も、着実に学問を進めて、母である文緒の期待に
応えるべく成長した。
 背も随分と伸びて、六年生の春の時点で五尺(約151センチ)
を越え、年内には文緒を追い越す勢いだ。二人の父親は共に六尺も
ある背高である。だから二人とも、これからまだまだ伸びるだろう。
 良家の子息でもあり、優秀な二人だけに一中を受験するのは
当然に思えるが、文緒にとっては樹の事が心配だった。
まだまだ、足腰が弱いからだ。
 日常の歩行に関しては、ほぼ問題は無い。重心の定まりが悪い為、
どこか頼りなげな足取りに見えるものの、転ぶ事も無くなった。
重心の定まりが悪いと足が絡みやすい。バランス練習を随分と
重ねて来たので、本人自身が意識してバランスを取りながら
歩いている。訓練で足の筋肉も強化されている為、体をしっかり
支える事にも問題はない。
 だが、無意識に歩いていると時には転ぶ。だからこそ、
ただ普通に歩くと言う事ですら、かなりの神経を使って
いるのだった。油断していると、ちょっとした段差や勾配で
躓きやすい。
 そんな状況だ。そんな状況で遠くまで通学する事が
出来るのだろうか。幾ら幸也が一緒とは言え、時世が時世だ。
戦況が芳しくない中、再び空襲にでも遭ったら、あの足で
逃げる事ができるのか。
 そもそも、通学中の列車の中で爆撃されたら、幸也共々
死ぬかもしれない。そう思うと恐怖で凍りつく。
 快い返事をしない文緒に、樹は国民学校(元尋常小学校)へ
最後の一年間、通学すると言い出した。驚いて理由を問うと、
「一中へ通う予行練習のようなものさ」と笑って答えた。
「地元の学校へも通えない奴が、横浜の学校へ通えるわけが
ないしね。今のうちに、通学と言う行為と集団に馴れておいた方が
身の為だと思って」
 いやに大人びた物言いだった。
「だけど……、今の学校は戦争色が強くて、若君には
厳しいのではなくて?」
 不安げに言う文緒に、樹は爽やかな笑顔を返した。
「学校や周囲の状況は、ユキから聞いて知ってる。こんな
ご時世だからこそ、安穏とここに引っ込んでいる訳にはいかない。
華陽院の嫡子は障害持ちの臆病者だって言われたくないからね」
 そうだった。この子は誇り高い子だった。自分を下等に
扱う者に対して、常に厳しい態度で対峙してきた。悔しさを
撥条(ばね)にして、ここまで頑張ってきたのだった。
「それに、山の下の学校へ通うんだから、行き帰りの道中は
訓練にもなるし。一石二鳥だよ。とにかく僕は学校へ行く。
ふぅが反対してもね」
 その言葉と眼差しに強い意志を感じて、文緒は取り敢えず、
国民学校への通学は許可した。だが、一中へ通うかどうかは、
今後の様子を見てから判断しようと決めた。
 登校初日、心配げな文緒を余所に、樹は涼しげな顔をして
幸也と共に家を出た。肩が僅かに左右にぶれる、その後ろ姿を
見送りながら、文緒の胸は不安で一杯だった。
 山道は歩行訓練の為に幼児の頃から歩かせている。一人で
歩けないうちは手を引いていたが、一人でなんとか歩けるように
なってからは手を貸さずにきた。
 何度も転び、その度に一人で立たせてきた。はたから見たら
非情な女に見えただろう。思いあまって幸也が手を出そうと
するのを厳しく止めた。どんなに時間がかかっても、自分で
立ち上がらせた。
 勿論、その時の成長の度合いで、歩く距離を少しずつ
延ばすようにしていたが、樹は一度も逆らう事なく頑張って
来たのだった。
 だから、学校への行き帰りに関しては、さほど心配は
していない。幸也も一緒だ。
 心配なのは、学校と言う環境だった。
 入学式の時を思い出す。
 好奇と偏見と軽侮に満ちた目。
 あの頃よりも、足取りは確かだし、頭脳は誰よりも明晰だ。
だが、五年間も不登校を続けてきた華族の子供に対して、
周囲はどんな反応を示すのだろうか。


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