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小説・散 華
    〃     弐 31~60


散 華  1.夢の通い路 37

2011.06.12  *Edit 

 樹と文緒が、これからも訓練を頑張ろうと共に確認しあった
その年の十二月、日本は太平洋戦争へと突入した。中国との
戦争が泥沼化している上に、米国と戦うのは無理がある。
 だが、軍部の跳梁を抑えきれなかった近衛文麿は、まるで
政治を放棄したように首相を辞任、内閣は総辞職し、
その後を継いだ東条内閣によって日本は完全に後戻りの
できない道へと進みだしたのだった。
 既にその前から徐々に統制が厳しくなりつつあったが、
それも日増しに強まり、国民の生活はあらゆる面で制約を受け、
思想面でも自由を奪われ息苦しい世の中だった。
 そして、日米開戦の翌年、藤村裕也が徴兵された。徴兵と
言っても、陸軍経理部の主計だった。階級は中尉。
 同じころ、文緒の長兄の秋月綱紀は軍医として、次兄の博文も
主計少尉として徴兵された。
 華陽院寛は貴族院議員として、東京にずっと在を置いている。
妻の久恵や子供達も東京の屋敷に住み、学習院へ通っていた。
 葉山に残っているのは、文緒と二人の子供達、そして
ご隠居方だけだった。文緒は頼りになる夫が傍からいなくなり、
また兄達も徴兵されて心細さを拭えなかった。
 舅の藤村政也は懐の深い、頼りがいのある義父ではあったが、
近頃、日露戦争の時に痛めた膝の古傷が加齢の為か思わしくない。
生活に大きく支障をきたす程ではないが、男手としては頼りない。
 そんな昭和十七年の四月十八日。
 日本本土に米軍機が攻めてきて空襲を受けた。
 ジミー・ドーリットル中佐率いるB-25爆撃機十六機が、
東京市、川崎市、横須賀市、名古屋市、四日市市、神戸市を爆撃。
死者87名、重軽傷者466名、家屋262戸の被害が出た。
 国際法で禁止されている非戦闘員に対する機銃掃討で国民
学校の少年が死亡し、朝日新聞に『鬼畜の敵、校庭を掃射』と
報じられた。
 この日、午後一時過ぎに横須賀には三つの爆弾が放射され、
横須賀軍港第4ドックで水上機母艦から空母へと改装中だった
「大鯨」に命中し、火災が発生した。
 大きな音と地響きの後に、上空を航空機が飛び去るのを見て、
文緒は一体何が起きたのかと酷く不安になった。その後、
横須賀と共に東京に空襲があったと知り、愕然とした。
 夫と兄達の安否が気になった。舅の政也が使用人を使わせて
安否確認へ東京まで行かせて、その無事を知った時には、
一同胸を撫で下ろしたのだった。
 だが、不安は胸の中に燻ぶり続けた。
 誰も、敵機が本土までやってくるとは思っていなかったからだ。
 大本営の発表は、真実とは遠い所にあり、国民は騙されていた。
炯眼のある一部の人間は、華々しい日本の戦況に疑いの目を
向けていた。それでも本土が爆撃されるとまでは、思って
いなかったのだった。
 何故なら、当時の飛行機の航続距離が短くて、日本までは
飛んで来れないと思っていたからだ。しかしアメリカは、
本土攻撃を可能にすべく、空母から双発爆撃機を発進させる
計画を思いつく。
 航続距離の長い陸軍爆撃機の空母からの発艦は、実践では
初めての事だった。また、爆撃後は帰艦して着艦するのではなく、
日本列島を横断して同盟国である中華民国東部に着陸する。
 かくして、計画は実行され、途中日本艦隊に発見されて
しまった事もあって、当初の予定の夜間攻撃が早まったものの、
概ね成功したのである。
 大本営は空襲で受けた被害を隠ぺいし、「敵機九機を撃墜。
損害軽微」「わが空地上両航空部隊の反撃を受け、逐次退散中なり」
と発表した。
 だが、敵機が撃墜された所を誰も見ていない。どこにも
落ちていない。幾ら大本営や新聞が嘘を書きたてても、
空襲を受けた現実は消せない。再び攻撃されるのではないか、
との不安が募るのも当然だろう。
 不安を胸に抱えながらも、文緒は子供達の為に頑張った。
空襲はその後、来なくなった。だが、金属の回収が始まり、
町会での訓練が頻繁になり、生活が逼迫されていく様から鑑みれば、
とても勝てる戦をしているとは思えないのだった。
 そうして昭和十八年の四月。
 山本五十六連合艦隊司令長官が戦死した。大本営はその死を
一カ月以上秘匿し、五月二十一日に公表され、六月五日、
日比谷公園にて国葬が行われた。真珠湾攻撃の立役者として
英雄化されていたが、ミッドウェー海戦では敗北を喫し、
その人物評価は戦後、肯定派と否定派に分かれている。
 だが当時は海軍の頼みの綱とも思われていた人物で、
その英雄が戦士した事に多くの国民が衝撃を受けた。
 そんな、益々先行きが混迷した世相の中、樹と幸也は
小学六年となり、二人は一中を受験する事に決めたのだった。


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