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小説・クロスステッチ第1部 <完>
第1章 花が咲く~第8章 刻印


クロスステッチ 第1部第7章 ぬくもり 第3回

2010.03.06  *Edit 

 「なんか、先生にそう言われて、自分でも驚きました。今の
自分だったら、とても告白なんてできないのに。でも、あの時の
事をよく思い出してみると、多分、彼も私を好きなんだって伝わって
きてたからだったように思います」
 「枝本の時は、色んなサインにも疑心暗鬼になっていたのにか?」
 「小学校に入って間もなくだったんですけど、数人の男子から酷い
いじめを受けてたんですよね。登校拒否になって、父が一緒に学校に
行ってくれて担任の先生に話してくれて、それからはいじめは
無くなったんですけど、すっかり内向的になっちゃって。いじめ対策で
先生が席替えをしてくれたんですけど、その時に隣の席になったのが
友親君だったんです。何故かとても優しくて、すぐに仲良しになって。
他の男子とは明らかに私への接し方が違うので、私も好きだったけど、
きっと友親君も私の事が好きに違いないって思いました。だから、
つい、『好き』って言っちゃったんです」
 「そうだったのか。理子がいじめにね。可哀そうにな」


 増山は六つ上だ。理子が小一の時、増山は中一だ。近所に六年生の
男子がいて、物凄くお兄さんって感じがしたものだったが、その
お兄さんより、まだ一つ年上なのだ。そう考えると、凄い年の差を感じた。
 「小学生時代は、その後、その時ほどの酷いいじめには
遭いませんでしたけど、でも、いじめは受けてましたよ。いじめられ
やすいタイプだったんでしょうね。だからなのかな。自分に親切で
守ってくれるような男子を好きになったのは。友親君も枝本君も、
そういう点で共通点がありますね」
 増山は思う。理子の酷く臆病な部分の一端に由来しているのかも
しれないと。
 「これからは、俺が守ってやる。一生な」
 理子は驚いて、増山を見た。運転中の増山は真っすぐ前を見ている。
その表情はいつもと変わりない。綺麗な横顔だ。
 「何を驚いている。お前と俺を別つものは死だけだと思ってる。
俺かお前が死ぬまで、お前の隣にいるのは俺だけだ」
 「先生って、情熱的なんですね」
 理子は赤くなって答えた。
 「茶化すなよ。俺は本気で言ってるんだから」
 「茶化してません。真面目な感想です」
 理子は、心も体も震えた。これは、もしかしてプロポーズの言葉なのか。
 私を一生、守ってくれる。この人が。
 車が理子の家の近くで止まった。サイドブレーキを引き、シートベルトを
外した増山が、理子に覆いかぶさってきた。熱い唇が重なる。キスの後、
増山は理子の耳元で囁いた。
 「いずれ、ちゃんとプロポーズする。それまで、返事を考えておいてくれ」
 増山の吐息が耳と頬にかかり、熱くなった。体も、心も。

 増山と別れた後、理子は何度も増山の言葉を反芻した。
 反芻すればする程、胸が熱くなった。
 まだ高校生なのに、プロポーズだなんて・・・。
 先生って情熱的で一本気なんだな。
 好き=結婚って思っているのだろうか。
 だが、理子も昔、枝本との結婚を夢見た事があった。枝本と両思いに
なったばかりの頃だ。付き合いだしたんだから、別れるなんて事は
想像できない。このまま別れずに付き合いが続いたら、結婚することに
なるのかな、と思ったものだった。
 でも実際には、それから数カ月後に別れてしまった。まだ好き
ではあったが。
 友親君にしたって、同じだ。学校が別々になっても、よく会っていた。
このままずっと付き合い続けて、もしかしたら結婚することになるかも、
と思ったりもした。
 いずれも、子供だった。そして、今もまだ子供だ。夢見る事はできる。
だが、理子は年齢の割に現実的だった。好き=結婚とは思えない
のだった。それに、自分の目の前にいる夫婦の姿を見続けてきて、
理子は結婚に夢を持てないようになった。
 父と母。この土地へ越してくる前は横浜に住んでいた。その時の
二人は、とても仲が良かったように思う。やんちゃでガキ大将だった
理子は、よく近所の子のお母さんに怒られて怒鳴りこまれる事も
あった。その度に、母が必ず守ってくれた。強い母だった。どんな
時でもその母が守ってくれる。そういう安心感があったからか、
その時期は天真爛漫で野放図だった。
 この土地へ越してきてから、両親は変わった。と言うより、母が
変わったのか。理子が幼稚園の年長になる年に家を建てて越してきた。
父の仕事が忙しくなり、夫婦の時間は大幅に減った。母のストレスは
溜まる一方で、何かの拍子に切れて、そのとばっちりを子供達が受ける。
 母はいつも怒ってばかりいた。営業職で毎晩遅い父に、いつも
怒りをぶつけていた。喧嘩ではなかった。一方的に母が父に怒りを
ぶつけている。父は黙っているだけだった。何か言えば、火に油を
注ぐようなものだと悟っていたからだろう。
 「うちは、母子家庭みたいなものだから」と言うのが母の口癖だった。
 そうは言っても、父は遅くなってもちゃんと毎晩帰ってくる。
浮気をしていたようではない。本当に仕事で忙しかったのだ。
気さくで明るくお喋りな父は人が好く、一見営業職に向いていそう
だが、実はそうでも無かったのだ。
 だから成績は良い方ではない。契約が多いほど収入は増えるが、
我が家の収入は多かった時は無い。下手するとノルマを達成できない
時もあり、そういう時は自腹を切るのだった。タコを切るとも言う。
だから母の機嫌は悪くなる。
 元々合理主義者で堅実的な母だったので、そんな少ない収入でも、
ローンはさっさと繰り上げ返済し、貯蓄もしっかりしていた。自分が
しっかり教育を受けて来た人間なので、子供の教育にはお金を惜し
まない。先の事を見据えて、倹約する。だから、倹しい暮らしだった。
 そういう暮らしだったから、子供の精神的なストレスや変化にまで
気持ちがまわらないのだろう。越してきて幼稚園へ入って、まず、
集団に馴染めなくなった。それでも幼稚園ではいじめは無かったから
良かった。小学校へ入ったら、近くの席の3人の男子にいじめられる
ようになった。最初はからかいから始まり、段々とエスカレート
してきて、最後には持ち物を踏みつけにされ、破られ、殴られた。
 そうまでされて、登校拒否になった娘に、母は「やられたらやり返せ」
と言って、学校へ行かそうとした。娘は頑として行こうとしないので、
父親同伴で学校へ行かせたのだった。担任は意に反して冷たかった。
理子はひどく傷ついた。
 ここへ越して来る前の母はどこへいってしまったんだろう。
何があっても真っ先に守ってくれる母だったのに。娘がこんなにも
傷ついているのに、守ってくれなかった。父に押しつけて来て
くれなかった。その事が、いつまでも理子の心の中に癒えない
傷跡として残っていた。
 その後も、ずっとそんな調子だった。毎晩、父が帰ってくると
一方的に怒り出す。そんな母と一緒にいて、父はよく嫌にならないな、
と思う。母も同じだ。私なら耐えられない。既に、そんな家庭の中に
いる事が嫌だった。できるものなら家出したいくらいだ。
 恋愛結婚だと聞いている。好きになって一緒になったのに、これだ。
人の気持ちなんて信用できない。いつか変わるものなんだ。だから、
幾ら相手が、自分は変わらないと訴えても信用なんかできない。
恋愛中は熱くなって、先の事が見えないだけだ。生活を共にすれば
変わるに決まっている。
 先生も・・・?
 あの先生も同じなんだろうか。
 いや。先生は違うかもしれない。
 でも、まだ付き合いだしたばかりだ。好きとは言っても、どうして
結婚まで考えられるのか理子には理解し難かった。それに理子は
自分が信じられなかった。自分がずっと同じ気持ちでいられる自信が
無い。だから、自分は一生、誰とも結婚できないと思うのだった。

 期末テストの後、理子は全国模試を受けた。全国の学校で一斉に
行われたものだ。結果は平均60だった。微妙な位置だ。東大の
合格圏内にはまだ遥かに及ばない。70近くないと駄目だ。校内でも、
トップクラスの集団との境界にいる感じだ。矢張り、理数系が足を
引っ張っている。文系だけなら70近い。だが、失望している暇は
ない。失望していても仕方が無い。欠点は補うしかないのだ。
それしか道は無い。まだ一年ある。だから頑張ろう。理子はそう思った。
 増山とは、あれから個人的には会っていない。毎日学校で顔を
合わすだけだ。あとは時々メールでやり取りしている。隔週で
来ないかと誘われたが、理子は断った。本当は行きたいのだが、
そうすると絶対に、なし崩しになってしまいそうで怖かった。
 あの日曜日の後も、暫くは自分を取り戻せないでいた。感情が
激しく揺さぶられ過ぎて、元に戻れないのだ。完全にいつもの
ペースを取り戻すのに三日もかかった。こんな事を毎週していたら、
まるで勉強ができない。例え結婚するにしても、専業主婦に
なるのだけは嫌だった。社会的に自立したい。夫に依存して、
ストレスを溜めて子供に当たるような、そんな人生は送りたくない。
 東大に入って、しっかり勉強して、まずは教職の免許を取り、
採用試験に合格して先生と同じように歴史の教師になろう。大学に
残って研究者の道を歩む事も視野に入っている。他の資格も、
取れるものは取っておきたい。とにかく、自活できるだけの力を
つけなければ。東大はひとつのステップに過ぎない。そこへ
入ったからって将来が安泰なわけではない。社会へ出れば、
あとは自分の力しかないのだ。女である事がハンデには
ならない仕事に就きたいと思った。
 その為に、今頑張らないと。そう思うから、増山の家へ行かないで
いるのだ。でも時々思う。これではまるで、須田先輩と同じだ。
恋愛は受験には邪魔なのか?否、恋愛が悪いのではなく、律する事が
できない自分が悪いのではないか。ふとした瞬間に増山が思い浮かび、
気が散る。思い出すと、会いたい気持ちが高まる。毎日会って
いるというのに。
 増山の腕の中にいると、そのぬくもりにずっと包まれていたい
気持ちに襲われる。ずっと、そこにいたい。守られていたい。でも、
それで良いのだろうか。葛藤が生まれる。それに身悶えする。だから、
避けたい。でも避けるという事は逃げる事だ。それに対し、
また抵抗が生まれる。
 二人の立場が、二人の間に立ち塞がる。毎日顔を合わせていると
言うのに、話したい時に気軽に話せない。少しでも話しが出来れば、
それなりに満足できるのに、それすら出来ないのだ。餌を前に
吊るされながら与えて貰え無いような状況だ。だからと言って、
合唱部の部活の後に、音楽準備室に残って会うのにも抵抗がある。
いつ誰が来るとも限らないし、帰るのもその分遅くなってしまう。
勉強時間がその分減る。
 だから、ここ1カ月、二人はメールのやり取りだけだった。
メールで、増山に恨みごとめいた事を言われる。増山は理子を
困らせるつもりは無かったが、大人の自分よりも理子の方が冷静
なのが、少々気に食わなかったのだ。それに、理子は未だに携帯の
電話番号を教えていなかった。それも気に入らなかった。
 理子は、増山のストレートさに少々戸惑った。同世代の男子としか
付き合ったことが無い。思春期の男子は一様に素直ではない。男子の
方が成長が遅いせいか、そういう事が積極的になってくるのは高校生を
過ぎた頃からだろう。性欲が強くなってくるのも、その頃からだろう。
 理子にだって、興味はある。読書家の理子なので、本から得る
情報は多い。大人が読む本を中学から読んでいるから、ある意味、
耳年増と言うか、知ってる事は多すぎるくらいだ。体の方も
生理的欲求を感じる。
 先生と出会うのがもっと遅かったら、今頃は身の丈に合った恋愛を
して、それなりの事を体験しているだろう。相手は多分、枝本あたりに
なるのだろうか。初体験の相手も、枝本かもしれなかった。そうして、
女子大生くらいになって増山と出会っていたら、きっと、増山の
ストレートな思いをそのまま受け止めて、それに応える事ができたに
違いない。今はまだ、対等な恋愛ができない。流されてしまいそうで
怖かった。
 模試の後、増山からメールが来た。クリスマスのお誘いだった。
25日の日に、家へ来ないか、との事だった。クリスマスくらいは
二人で過ごしたい、とあった。イブでない所が味噌だ。イブは
お互いに家族で過ごそうと書いてある。
 家族か。理子の家は仏教徒なので、クリスマスなんて関係ないと
母はいつも言うのだが、イブの日はいつも父がケーキを買ってきて
くれて、それなりに、いつもとは違う料理を食べるのだった。
プレゼントは貰ったためしが無い。だが、この日は少しは
家族らしいと思うのだった。
 “お前、冷たすぎるぞ。少しは恋人の事も考えてくれ”と、
最後に書いてあった。
 『恋人』という言葉に胸が熱くなった。恋人か・・・。恋人なんだ・・・。
 理子もクリスマスの事は考えていた。だから、忙しい合間を縫って、
増山の為にマフラーを編んでいた。背の高い彼の為に、長いマフラーに
しようと思った。色は白にチャコールグレーの糸が混ざったもので、
手の込んだ模様編みだ。編んでいる事は誰も知らない。親さえも。
 久しぶりに音楽準備室で待ち合わせて渡そうかと考えていたのだが、
矢張りできることなら当日に会って渡したいとも思っていた。誘われて
いるのだから、素直に了承すればいいのだ。なのに、何故躊躇う。
会いたいのに。折角、想いが叶ったのに。
 ずっとこの状態でいいわけがない。自分だけが怖いが為に、
好きな人を拒否しているようなものではないか。好きだから逢いたい、
触れたい、そう思うのが自然だ。その自然な思いを無理やり抑え込んで、
相手にもそれを強要している。『少しは恋人の事も考えてくれ』と
言われるのも当然だろう。
 理子は携帯の返信ボタンを押した。

  “クリスマス、一緒に過ごしたいです”

 三者面談が始まった。期末も終わり、毎日半日授業である。
増山は面談に追われていた。増山だけではない。担任を受け
持っている教師はみんなそうだ。彼らが顧問の部活は、
生徒だけでやっている。
 理子は母とともに、増山の前にいた。なんだか変なシチュエーションだ。
学校にいる時は教師と生徒だが、目の前にいる人は好きな男性だ。
しかも、結婚を考えてくれている。増山が普段と違って少しだけ
緊張している様子が伺える。
 「どうでしょう?うちの娘は。国立を受験できるでしょうか」
 母は最初から紋切口調な感じで聞いた。
 「今の調子で頑張れば、国立は確実だと思われます。一学期に
随分頑張って成績も上がった事はお母さんもご存じだと思いますが、
二学期もよく頑張って、一学期よりも良くなっています。この間の
全国模試の成績も、以前より上がっています」
 増山は優しい笑顔で答えた。
 「そうですか。それは良かったです」
 母はほっとしたように言った。
 「それでですね。本人とも色々話したんですが、本人は日本史を
勉強したいと言ってるんですが・・・」
 と増山が言ったら、母は目の色を変えた。
 「何ですって?日本史?日本史なんて勉強して、一体何になるんですか。
高校に入った時には英文科に行きたいって言ってたでしょ」
 と、凄い勢いで理子に捲し立てた。
 普段冷静な増山も、母親のこの反応にうろたえている。
 理子は謝罪の思いを込めて増山を見た。理子の視線に気づいた増山は、
理子の思いを察したようだった。
 「おかあさん。そう、いきり立たないで下さい。日本史へ進むよう
勧めたのは僕なんです」
 「何ですって?どうしてそんな余計な事を」
 「彼女は、迷っていました。迷うなら好きな方を取れと言ったんです」
 「好きだからって、それで生計が立てられるんですか?世の中そんな
甘いものじゃないでしょう。歴史が好きなのは構いません。私も
好きですから。でも、それと仕事とは別物です」
 「お母さんのおっしゃる通りです。ですが、好きこそ物の上手なれ、
とも言います。好きな道なら目標を高く掲げる事もできます。それで、
僕は東大を受験するように、彼女に勧めました」
 「東大?」
 思いもよらない大学の名前を聞いて仰天しているようだった。
 「せ、先生。何をおっしゃってるんです。馬鹿みたいな事を
言わないで下さい。そりゃぁ、目標は高いに越した事はないでしょう。
だけど、東大だなんて、非現実的な事を言われても困ります」
 「非現実的ではないですよ。歴史を勉強するなら東大を目指す
べきです。あそこの研究は進んでいるし、何といっても、その蔵書の
質と数と言ったら、他を寄せ付けません。お嬢さんも最初は東大と
聞いて恐れおののいていましたが、夏休みに東大のオープンキャンパスを
見学に行って、受験する決意をしたんです」
 母は隣に座っている理子を見た。
 「東大のオープンキャンパスに?聞いてないわよ」
 そりゃそうだ。言っていない。
 「ごめんなさい。何だか気恥かしくて。どうせいずれはわかる事だし」
 「どうして相談しないの」
 「自分の事だし、私立へ行くならお金がかかるけど、東大だもん。
お母さんは国立なら文句ないでしょ」
 だが、矢張り事前に言っておくべきだった。先生の前で、恥ずかしい。
 「先生。お話はわかりました。ですが、必ず入れる保証はありません。
東大へ入れば、日本史だって、それなりに就職の口はあるでしょうが、
入れなかった場合、どうなるんです?」
 「万一、別の大学へ通う事になったとしても、教職の道もありますし、
就職に有利な資格を取得する道もあります。いずれにせよ、理工以外の
学部だったら、どこへ行っても就職率に大差は無いんですよ。それなら、
好きな道を選んだほうが、勉強にも身が入ります」
 「わかりました。理子、それなら滑り止めの私立は受験させません
からね。国立に入れなかったら、浪人もさせません。うちにはそんな
お金は無いんだから。高卒のまま、どこかへ就職しなさい」
 「お母さん。そんなにきつく言って、本人を委縮させないで下さい。
できれば、もっと励ましてやってくれませんか」
 「とんでもない。そんな甘い事を言っていて、どうするんです?
そんな事で東大なんて受かるものですか」
 増山は溜息をついた。
 「お母さん。もっとお子さんを信じてあげたらどうですか?
彼女はとても頑張ってる」
 「それは、みんな同じでしょう。みんな頑張ってます。
それでも受かるのは一握りです」
 「彼女は一年の時には偏差値が55でした。だが、この間の
模試では60になっています。彼女が受ける東大の文三類の偏差値は
66です。今のままではとても無理ですが、これからの頑張り次第では
手が届く位置にまで来ています。それに、東大はセンターの後の
二次試験の結果を重く見ます。合格の比重は一対四で、二次試験の
点数の方が高いんですよ。彼女の日本史における実力はかなりな
ものですし、世界史も強い。他の文系も良く出来ます。娘さんは
東大の受験に向いてるんです。だからその分、合格の可能性も高いです。」
 母親は初めて聞く話しに、うろたえた。
 「彼女の今の偏差値は60とは言っても、それは理数系が足を
引っ張っているからです。文系だけなら70近いんですよ。ですから、
文系の勉強はこれまでの調子でやればいいわけだから、そんなに
難しくない。あとは苦手な理数系を頑張って底上げすれば
いいだけなんです」
 「その、苦手な理数系を克服できるんでしょうか」
 「しなければしょうがないでしょう。本人はその覚悟で勉強して
いるようだし、僕もバックアップしています」
 「バックアップって・・・?」
 母の問いに理子が答えた。
 「先生は、東大の日本史出身なのよ。経験者なの。だから、経験者と
して、どういう勉強をしたら合格できるのか、具体的に色々と教えて
くださってるの」
 「えっ?増山先生、東大を卒業されたんですか?」
 母親は、増山の外見を見て、侮っていたようだ。
 「そういう事なので、あまり本人に厳しく言わないで下さい。受験
までの道のりはまだ長いんです。それまでの間に、モチベーションを
下げないようにしないといけません。今のところ、彼女は僕が言った
通りの過程を順調に進んでます。東大を受験するからと言って、勉強
漬けにさせるのも良くありません。メリハリが大事です。長くて薄い
時間より、短くて濃い時間の方が価値が有るんですよ。気力も体力も
充実させないと、乗り切れませんから」
 『短くて濃い時間』と言う増山の言葉には、有名女子大を受験した
本人の経験からしても納得がいった。ただダラダラと長く勉強すれば
良いと言うものではない。それに、増山は天下の東大卒業者だ。言って
みれば勝者だ。その人間が言うのだから、間違いはないのだろう。
母はそう判断した。
 「わかりました。先生がそうまでおっしゃるなら、お任せします。
宜しくお願いします」
 母はそう言って頭を下げたのだった。
 理子は取りあえずホッとした。何と言っても東大だ。教育熱心で
プライドの高い母にとっては文句のつけようも無いだろう。自分の
子供を過小評価している母にとって、東大なんて全く眼中に無かった
のだろうが、そんな母に理子は一矢報いたような気持ちになった。
だが、本当に一矢報えるのは、合格した時だろう。
 夜、増山からメールが来た。
 きっと、昼間の三者面談の事だろう。さぞや驚いたに違いない。
 メールを開いて、理子は目を見張った。

  “理子、お前を守りたい。愛してる”

 理子は胸が締め付けられた。そして、涙がこぼれ落ちたのだった。

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