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小説・目覚めのセレナーデ
第一章・夏は暁


目覚めのセレナーデ 1-05

2015.06.24  *Edit 


 どんなに急いで帰っても合唱団の練習がある日は夜の10時を過ぎてしまう。
平日の夜7時から9時までの練習だが、9時ぴったりに終わると言う事は稀だし、
終了後も若干の反省会やら打合せ等がある。練習会場である公民館と自宅の距離が
近いから良いが、そうでなければ通えない。
「母の様子はどうですか?」
 ヘルパーである北山須美子は、いつもと変わらぬのんびりした様子で
「お変わりないですよ」と言った。
 須美子は50年配のバツイチ女性だった。比較的近くに住んでいる事もあり、
ほぼ毎日手伝いに来てくれている。この人が来てくれるまでは、芹歌の生活は完全に
母親の介護に支配されていて、まるで地獄のようだったと思い返される。
「では、わたしはこれで」
 須美子は既にいつでも帰れるように支度は済ませてあり、玄関脇の小部屋に置いた
鞄を手にしてそそくさと出て行った。
 もう夜が遅いのだから仕方が無い。合唱団の夜の練習日は週に1回だ。その時だけは、
こうして10時過ぎまで居て貰っているが、普段は夕飯の支度を終えてから帰宅している。
 そう多くは無いが、友人・知人の伴奏者としてリサイタルへ出かけなければ
ならない時にもお願いしている。夜に居て貰う時には延長料金を支払っているので
結構高くつくから、芹歌は夜の外出はなるだけ控えるようにしていた。
「病気ってわけじゃないんだから、甘やかし過ぎじゃないの?」
 久美子に言われて、夜、母をひとりにさせてみたら、帰宅後の自宅はここだけ
嵐が来て去っていったのか?と思うほどの有り様だった。あらゆる物が散乱し、
台所は冷蔵庫の中身が全て床にばら撒かれ、水道の水は流れっぱなし。そして母は、
ひっくり返った車椅子の下敷きになって苦悶の表情を浮かべていた。
 その光景を見た時、芹歌は深く絶望した。
 床にへたり込んで泣いた。どうしたら良いのか分からなくて、一晩中泣いた。
 そうして朝になってヘルパーの須美子がやってきて、母を助け起こし、黙々と
後片付けを始めた姿を見て、やっと正気を取り戻したのだった。
 以来、夜に留守にする時には須美子にお願いしている。須美子もこんな有り様を
見たと言う事もあるのだろう。文句のひとつも言わずに引き受けてくれている。
「ただいま」
 リビングでテレビを見ている、母の実花に声を掛けた。
「うん……」
 テレビを見たまま芹歌の方を振り向きもしない。
 夜でかける日は、いつもよりも機嫌が悪い。毎週の事なのだから、いい加減慣れて
くれればいいのにと思うばかりだ。
「今日の練習……、どうだったの?」
 視線は変わらずテレビの上にある。
「う~ん……。どうって、いつもと変わらないかな」
「上手く弾けたの?」
「普通よ」
「そんな事、ないでしょう。あなたなら上手に弾けた筈よ。みんなから褒められるでしょう?」
 ピアノの仕事から帰ってくると、いつもこんな事を言う。
 子どもの時は、両親に褒められ、周囲に褒められる事で両親が喜んでくれて、
幸せだった。ピアノを上手に弾く事で手放しで喜んでくれる両親の姿を見るのが
何よりも嬉しかった。
 だが今は違う。実花の言葉に素直に反応すると、とんでもない目に遭う。自分の力を
認めれば「うぬぼれてる」「傲慢だ」と激しく批判し、謙遜すると「そんな能無しに
育てた覚えは無い」だの「そんなんじゃ周囲から蔑まれる」だのと、これまた散々に
批判される。
 そして最終的に、「いいわよね。好き勝手な事ができる御身分で」と来るのだった。
「仕事でやってるんだから、みんな特に何も言わないわ」
 当たり障りのない程度に言って、「お風呂に入って来るから」と話を打ち切った。
 だが風呂にもゆっくり入っていられないのが現状だ。
 実花は一人の時間が長いと何をしだすか分からない。一人がたまらなく寂しくて
耐えられないらしい。ワンワンと泣き出して、手当たりしだいに物を投げつける。
「どうしてなの?どうしてなの?私をひとりにして酷いじゃない!」
 泣きながら口癖のように、そればかりを叫ぶ。
 父の庸介が死んだ時に口にした言葉だ。
 母の時間はその時から止まったままだ。
 20分程で入浴を済ませ、髪を拭きながらリビングに戻ると実花は変わらずテレビを
観ていた。だが、ボーっとしている。テレビは点いていてもあまり観ていない。
ただ他にする事もなく、静かなのも耐えられないから点いているだけなのだ。
まるでお年寄りのようだと思う。こんな生活を続けていたら、まだ55歳なのに
惚けるのではないかと心配だ。
 だが本人は周囲の心配などお構いなしだ。自分の世界に閉じこもり、自分の感情
中心に生きている。迷惑をかけることも厭わない。この世で自分が一番不幸な
人間だと思い込んでいた。
 浅葱家は夜が遅くて朝は早い。
 殆ど動かない実花は、夜遅くまで眠くならない。そして浅い眠りのうちに早朝に
目覚める。それに付き合わされている芹歌はたまったものじゃなかった。普通の
会社勤めでないから良いようなものの、そうでなければ芹歌の方が病気になって
しまうだろう。
 翌朝の朝食時、実花の顔が心なしか明るいのに気付いた。目元と口許が柔らかい。
いつも無表情なだけに、少しの変化でも気付きやすい。夕べはいつもと変わらなかった
だけに、昨日良い事があったというわけでは無さそうだ。
(良い夢でも見たのかしら?)
 不思議に思いながら食事を進めていたら、「今日はあの子のレッスン日よね?」と
実花が明るい調子で訊いてきた。
「え?あの子って?」
 レッスン日と言う事は、生徒の事を指しているのだろう。水曜日の生徒は誰だっけ?
と首を捻った。
「あの男の子よ」
(男の子?勇気くんの事?)
 この春から通い始めた小学一年生の男児がいる。少し多動気味で声が大きい。
溌剌とした明るい男の子だが、少し飲み込みが悪いので手取り足とり教えている、
手のかかる子だ。
可愛い顔をしているが、まさかあの子の事を気に入ったとは思えない。
「ゆう……君……」
 やっぱり勇気君の事かと思ったら、その後思いがけない名前が実花の口から飛び出してきた。
「ゆう……悠一郎君……」
「ええっ?」
 芹歌の反応に実花は驚いたように目を見開いた。
「何を驚いてるの?」
「え?何って……。だって、お母さんが『悠一郎君』なんて言うから……」
「あら、私、名前を間違えた?合ってるわよね?」
 責めるような顔つきで芹歌を見ている。
「あの……、神永くんの事、なのよね?」
 恐る恐る訊ねた。『悠一郎』とはっきり言っている以上、間違えているとは思えないが、
この母が二十代の青年を下の名前に君づけで呼ぶ行為がピンと来ないからだ。
しかも以前の実花ならともかく、今のような状況なら尚更だった。
「そうよ。神永悠一郎くんよ~。あの子、今日レッスン日だったわよね?」
 確かにその通りだった。神永悠一郎は、大体、水曜の夕方6時にレッスンに通ってくる。
休日が水曜日だからだ。
「そうだけど、それがどうかした?」
「今日、生憎雨よね。残念ね」
 残念とは、一体誰が残念なのだろう。何が残念なのだろう。
問いに対する答えが曖昧で抽象的で実花の真意が計りかねた。それに、神永悠一郎の
レッスン日を覚えていた事。気にしているようだと言う事。どこか楽しそうな表情を
浮かべている事。
 父が死んでからの母は変わった。別人のような母の世話に心身共にすり減らしてきた。
特にその心の内はまるで理解できなかったし、今でもそれは変わらない。
 雨の音の激しさが伝わって来て、ふと窓辺に目をやると、紫陽花が雨に煙って見えた。
(夕方には治まるといいのにな……)
 ザンザン降りよりは、止んでいる方がいいに決まっている。本当に生憎の雨で残念だ。

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