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小説・目覚めのセレナーデ
第四章・春は燦めき(最終章)


目覚めのセレナーデ 4-17

2015.12.04  *Edit 



 芹歌は重い気持ちのまま、レッスン室に入った。
「おはようございます」
 オケのメンバー達から声をかけられ、「おはようございます」と笑顔で返したが、
ぎこちない顔だと自分でわかる。真田はまだ来ていなかった。
「芹歌ちゃん、おはよう。真田君、今日は遅れるって。あなたにも連絡あったでしょう?」
「はい。メールが……」
「珍しいわね。彼が遅れるなんて。しかも、こんな時に」
 全くそう思う。
「あの、先生……」
「なぁに?」
 久美子のアメリカ行きの話しを聞こうと口を開きかけたが、思い直す。今ここで
聞く事では無い。大事な練習の前なのだ。
「あ、いえ。先にやっててくれとの事なので、始めましょうか」
「ええそうね。時間を無駄にはできないものね」
 渡良瀬は真田の変わりに指揮台に立った。芹歌はピアノの椅子に座る。椅子を直し
呼吸を整えながらも心が晴れないのは、昨日の事が頭から離れないからだ。
 練習が終わって一人先にレッスン室を出た。夕方から生徒達のレッスンがある為、
いつも自分のレッスンが終わると急いで帰る。足早にレッスン棟を出た時に
呼びとめられた。事務の須山だった。
「浅葱さん、あなたに渡す物があるのよ」
 須山が手渡してきたのは、封がしていない大きめの封筒だった。
「あの、これって……」
 書類か何かなのだろうか?
「大田さんからね。頼まれたの。見てビックリよ」
 須山は笑っているが、その笑顔はどこか気持ちが悪い。須山はそのまま立って
芹歌を見ている。中身を確認するよう催促しているみたいだ。仕方なく、芹歌は
封筒の中身を手にして引っ張りだして、目を瞠った。
 真田と久美子がベンチに座って抱き合っている写真だった。
「どぉ?凄いわよね。決定的瞬間ってやつ?ショックよねぇ~。だけど、あなた、
練習が終わってすぐ帰るから知らないでしょうけど、あなたが帰った後、何度か彼女、
訪ねて来てるのよ?元々在学中にも真田さんと関係してたものね。最近、
私や大田さんとは、減ったけど、その分を彼女でカバーしてるみたいね。この時は
特に親密な感じだったみたい。彼女、泣いてたって。真田さん、必死で
なだめてたそうよ。何かあったのかしら」
 芹歌は震えて来る手をかろうじて止めた。
「……これって、いつの写真ですか?もう、大分前のじゃ?」
 須山が言う通り、元々関係があったのだから、昔のものなら抱き合っているのも
不思議ではない。
「つい最近よ。二人の服装を見れば分かるでしょ?それにバックの沈丁花。
ほら、そこのベンチよ」
 須山が指を差した。見ると確かに、すぐそこのベンチのようだ。沈丁花の花の様子も
写真とあまり変わらないように見える。
「どうして、これを私に?」
 ショックで声が微かに震える。
「あなたが知らないみたいだから。呑気に幸せそうな顔してるから、可哀想でさ。
真田さんの彼女を気取ってるみたいだけど、現実を知った方がいいでしょう?
まぁ、真田さんの性癖は、本当はあなたが一番良く知ってる筈だけどね。今は
コンクールって目的があるから、あなたに熱心だけど、それが終われば、また
元のようになるんじゃないのかな。これがいい証拠よね。じゃ。コンクール、頑張って」
 笑顔で軽く芹歌の肩を叩いて去っていった。その後ろ姿を見て、怒りが湧いてくる。
余計なお世話もいいところだ。何が『可哀想』だ。馬鹿にしている。
 芹歌は写真を封筒に戻してカバンにしまった。これにはきっと、何か訳があるに
違いない。そう思った。だが、追い打ちをかけるような事がその晩に起こった。
 生徒達のレッスンも済み、食事も母の入浴も終えた夜の9時頃に来客があった。
こんな時間に来客なんて、まず無い。
(もしかして、神永君?)
 実家の遺体発見の件で警察から事情聴取を受けている神永だが、母親の不審な
死の解明はまだできておらず、当時4歳だった子どもが殺人とも考えられない事から、
彼はただの参考人であり、自由の身だった。だから、以前のようにレッスンに来ている。
 不審に思いながら出て見ると、客は中年の女性だった。見た事のあるような顔だ。
誰かの親御さんかな?と思ったら、「野本加奈子といいます」と名乗られて驚いた。
 野本加奈子なら知っている。だが、その野本加奈子が何故うちに?
「はじめまして。浅葱芹歌さん」
「はじめまして……」
 加奈子は少女のような無邪気な笑顔を向けて来た。ショートカットが良く
似合っていて若く見えるが、確か年齢は40を過ぎていた筈だ。
「寒いし、立ち話も何なんで、入らせて貰ってもいいかしら?」
 加奈子に言われて、芹歌は彼女をレッスン室に通した。それにしても、自ら中に
入れろとは少し図々しい気がした。年齢を重ねると、そうなるのだろうか。
「立派なレッスン室ね。ここで生徒さんを教えてるのね。空調も整ってるし、さすがねぇ」
 そう言いながら部屋の中を見まわしている。
「あの……、それでご用件は?」
 加奈子は振り返って笑った。
「ああ、ごめんなさいね、いきなり訪ねて来て。あなたの事は少しだけ知ってるわ。
ピアノ教室の他に、伴奏の仕事もされてるのよね。何人かのリサイタルで、あなたの
伴奏も聴いた事があるのよ?お上手よね~、伴奏。合わせるのって大変でしょう?」
 何だか言い方が嫌味っぽいと感じるが、考え過ぎか。
「仕事ですし。合わせるのが大変って言ったらオーケストラなんて、その極致じゃ
ないですか。野本さんなら、よくご存じだと思いますけど」
 加奈子の目が心なしか光ったように見えた。
「そうね。だけど伴奏なんて縁の下の力持ちのような仕事、よくされるわね。
感心してたのよ。でもさすがに飽きてきたのかな?山際に出てるんですってね。
幸也君から聞いたわ。驚いちゃった。ずっと伴奏しかしてこなかった人が」
(幸也君?なんなの、それ)
 芹歌は彼女が真田の事を『幸也君』と呼んだ事に驚いた。
「どういう意味ですか?私が山際に出るからって、あなたには関係ないと思うんですけど」
「それが、そうでもないのよ。私、前から幸也君と一緒に仕事をしたいと
思ってたの。今度、テレビドラマの音楽をやる事になっててね。弦楽器を
主体にした曲を作ったから、彼にお願いしてるんだけど、あなたのコンクールの
面倒をみないといけないから、そんな時間が無いって言われちゃって……」
 ほとほと困ったと言わんばかりの顔で芹歌を見ている。
「そんな話し、聞いた事ありませんけど」
 不愉快で顔が強張って来た。
「あなたのコンクールに差し障るからよ。でも興味はあるみたい。夜、よく私の所に
来てくれるの。今夜も来たんだけどね。手袋を忘れてったのよね、彼ったら。
真田家に届けるのも、なんか敷居が高いじゃない?私、オバサンだし。だから、
あなたから渡してくれないかしら?」
 そう言って差し出された手袋を見て、芹歌は凍りついた。確かに真田の手袋だ。
「もう春とは言っても、夜はまだ寒いし、バイオリニストにとっては手は
大事ですものね。全く、ウッカリ屋さんよねぇ。だけどあなた、もう少し、
しっかりした方がいいわよ?『俺がそばにいないと、彼女は満足に弾けないんだ』って、
彼、こぼしてたわよ?何の為のコンクールか分からないわねぇ。彼も、
そう言う所が放っておけなくて、あなたの事を構ってるんでしょうけど、
時々ウンザリするのか、あの子の所へも、しょっちゅう出入りしてるみたい」
「あの子?」
「ほらっ!あなたの友達のピアニスト……。中村久美子さん、だったかしら?
今夜もね。あの子から呼び出しがあって、急に飛び出して行ったのよ。だから
手袋を忘れていったのかもね。慌てた様子だったから。あなたも大変ね。
彼、あちこちに女がいて、腰が落ち着かないものね。でもそこが魅力的でも
あるんだけど。私は途中でお預けになっちゃって、凄く残念だった。若い子に
負けない自信、あるのになぁ」
 芹歌は涙が出そうになって来て、慌てて自分の心にフタをする。こんな事を
言われて、少女のようにメソメソと敵に涙なんて見せられない。
「それで、野本さんは手袋を届けに来てくれただけなんですよね?それならもう、
用事は済みましたよね?」
 芹歌は勤めて冷静に、野本に帰宅を促す。
「そうね。もう帰るわ。だけど、最後にもうひとつ。コンクールが終わったら、
彼を解放してあげなさい。彼はもっともっと広い世界に羽ばたく人よ。
あなたは彼に相応しくない。ここでピアノを教えている方が似合ってるわ」
 野本は蔑むような目で芹歌を一瞥した後、出て行った。




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~ Comment ~

Re: ムカつく~!>千菊丸様 

千菊丸さん♪

ほんとにムカつきますよね。

こういう嫌がらせしてくる女性って、巷でも結構、いますよ。
腹いせなんでしょうねぇ……。

ムカつく~! 

野本加奈子も、須山もムカつく女達ですね!
宣戦布告か?それとも、芹歌に精神的なダメージを与えてコンクールに優勝させないようにしているのでしょうか?

須山の方が、ムカつきますね・・善意と装った悪意をぶつける女。
こういうタイプの人、現実にいそうです。
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